2016年11月20日日曜日

宮城刑務所





宮城刑務所。ロス疑惑の三浦和義が服役していた刑務所である。
収容分類はB、LB、P級。P級とは簡単に言うと不具者や身障である。
刑事施設として東京拘置所と並び13階段があると聞く。
13階段とは言わずと知れた死刑執行装置である。
刑場がある施設はその他札幌拘置所、名古屋拘置所、大阪拘置所、広島拘置所、福岡拘置所。
法務省が公開しているかは知らないが死刑に立会うのは検察官、施設の長、刑務官である。
検察官や施設の長がナマで見ているか、恐らくはカーテン越しだろう。
実際に死刑囚の最期を見届けるのは刑務官である。
以外に死刑に立ち会った刑務官は刑務所で普通に懲役工場担当として勤務している。
床が抜けた時点で頚椎が骨折し死んでいるのだが、偶に暴れる死刑囚もあるという。
その際はおとなしくなるまで腰を抱え強く引き続けるらしい。


獄内での三浦和義

三浦は留置場と東京拘置所から約500件の報道各社に対し本人訴訟を起こす。
自伝には勝訴を連発したとあるが未確認である。
東京拘置所や宮城刑務所が民事の法廷に出廷を許可するとは思えないので三浦は弁護士に出廷を依頼していたと思われる。
本人曰く、本人尋問の多くは法廷で行われたという。
拘置所で尋問を行うとした裁判所の決定に異議申し立て、重ねて忌避申立までしたという。一読して参考になったとまで言う弁護士が居るという。検事や裁判官はコメントしないのはいうまでも無いが、反権力という姿勢が弁護士には受け入れられるのか
本人訴訟や東京拘置所並びに宮城刑務所での生活ぶりが三浦の著書

弁護士いらず

に纏められている。東京拘置所、宮城刑務所での処遇改善闘争。控えめに見れば三浦のお陰で囚人は恩恵に与れた。だが反面、強い自己顕示欲が窺えなくも無い
三浦の場合、収監により経済的ダメージが大きかった。人権の救済など本人や世間が言っているが先程も述べたとおり勝算の無いことをこの男はしない。得られる賠償金で色々と賄ったのであろう。本人曰く、保険会社からの差押で文無しになったという。
堀江にしても三浦にしても簡単に差押を受けるようなタマではないだろう。
幾らでも賠償金を受取る方法はあるからだ。堀江にしても抜け目が無いから資産隠しはしたはずだ。ただ堀江は三浦と違い無一文と言っておらず、出所後にロケット打ち上げや事業を始めており金についてオープンにしているのか否かがその後の二人の明暗を分けているようだ。
かたや著書も当たり脚光を浴びている時の人、かたや出所後くだらない万引き事件を二度も繰り返し一事不再理の名の下、農業を営みながら弁護士が黙っていないような如何わしいコンサルタント業をはじめ米国の法律で米国内で起こった事件であるから米国の法を適用するというう米国の都合で米国の留置場に放り込まれ不可解な死を迎える。刑事施設が三浦のボーンであり、三浦の故郷だったのか。留置場で不可解な死。実に三浦らしい。

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